
建設年:12世紀〜20世紀初頭
設計者:客家の人々による共同体設計
土と知恵が積み上げた「一族ごと住む要塞」の話
こんにちは!今日は中国の建築史の中でも、知れば知るほど底が知れない場所についてお話したいと思います。
中国・福建省の山奥にひっそりと——というには少々大きすぎる——存在している「客家土楼(はっかどろう)」です。
土楼というと「丸い土の建物でしょ」という印象で止まってしまう人も多いのですが、それはもったいない。
これ、実は建築の教科書に載っているような概念がほぼ全部詰まっている、ものすごい建物なんです。
「構造」「環境設計」「都市計画」「防衛建築」、そして「コミュニティ設計」まで。
建物ひとつにこれだけの要素が同居しているのは、世界的に見てもかなり珍しいことです。
一族まるごと住める「一棟完結型の村」という発想
客家(はっか)というのは、もともと中原(現在の中国北部)から戦乱を逃れて南下してきた漢民族の一派のことです。
彼らは「よそ者」として新しい土地に入っていったため、常に外敵や盗賊の脅威にさらされていました。
その中で生み出された究極の答えが、この土楼という建築形式です。
土楼の構造を簡単に言うと、「一棟の建物が、そのまま丸ごと村になっている」という感じ。
外壁は最厚部で1.5メートルを超える土の壁で、下に行くほど厚く、まるで城壁のような堅牢さを誇ります。
入り口はたったひとつ。
そこさえ閉じれば、中に井戸があり、食料倉庫があり、家族が暮らす部屋がある。
外の世界と完全に切り離して生きていける、自己完結した空間です。
普通の一戸建て住宅と比べてみると、その規模感がよくわかります。
円形の土楼の直径は小さいものでも50メートル以上、大型のものになると70〜80メートルにも達し、高さは4〜5階建て。
中に住むのは数十家族から多いものでは数百人にのぼります。
それが「一棟の建物」として機能しているわけです。

土と竹とわらで、700年以上持つ建物をつくる技術
土楼の壁材は、基本的には地元で採れる粘質の赤土です。
ただ、ただの土を固めているわけではありません。
砂や石灰を混ぜて「熟土」と呼ばれる素材を作り、場所によっては糯米(もち米)や黒砂糖まで加えます。
これは粘着力を高めるための工夫で、現代でいえばコンクリートに混和材を入れるような発想です。
さらに、壁の中には杉の枝や竹を埋め込んで「壁骨」にしています。
現代の鉄筋コンクリートで言えば、鉄筋の役割を果たすものです。
こうした工法は「版築(はんちく)」と呼ばれる古代からの技術ですが、土楼の建設者たちはこれを極限まで洗練させました。
実際、1308年に元代に建てられた裕昌楼は700年以上が経過した現在も現役で、地震や風雨にも耐え続けています。
鉄もセメントも使わずにです。
夏は涼しく冬は暖かい——これも土壁の厚みと熱容量によるもので、現代のパッシブデザイン(外部エネルギーに頼らない温熱環境の設計手法)の考え方と本質的に同じです。
数百年前の人たちが、物理の言葉を使わずに体得していたことに、毎回唸らされます。
八卦と風水が「間取り」を決める世界
振成楼(しんせいろう)という土楼は「土楼王子」の異名を持ち、土楼の中でも特に有名な存在です。
1912年に着工し1917年に完成したこの建物の最大の特徴は、内外二重の円形構造が「八卦(はっけ)」の配置に基づいて8つのセクションに分かれていることです。
八卦というのは、ざっくり言うと中国古来の宇宙観・自然観を8つのシンボルで表したもので、日本でも易占いとして知られています。
振成楼ではこの八卦の配置に従って防火壁が設けられ、各区画が構造的に独立しているため、万一火事になっても延焼が広がりにくい設計になっています。
「精神的・哲学的な象徴」と「実用的な防火設計」が見事に一致しているわけです。
部屋の配置や棟の向きも、すべて風水に基づいて決められています。
日本でも家を建てる際に鬼門を避けるという考え方がありますが、土楼の場合はそれが建築全体の骨格そのものになっていて、思想と空間が不可分に結びついています。

「集まって住む」ことを建築が支えるとはどういうことか
土楼の内部は、外の要塞めいた印象とはがらりと変わります。
中庭には井戸があり、祖先を祀る廟があり、かつては家畜が飼われていました。各家族に割り当てられる部屋は1階が台所、2階が食料貯蔵庫、3・4階が居住空間という縦割りの配置です。
つまり一家族が、ひとつの棟の中で「縦に積んだ一戸建て」のような生活をしていたわけです。
また、この建物の面白いのは、部屋の大きさと配置が全員平等であるという点です。
どの家族も同じ広さの部屋を持ち、同じ中庭を共有する。
年長だから部屋のサイズが大きいという事はありません。
これはコミュニティ内の平等意識を空間が体現していると見ることができます。
現代の集合住宅の設計でよく議論される「共用部のあり方」「住民間の公平性」という問題を、土楼はとっくの昔に、独自の答えで解いていたとも言えます。
また、多くの土楼には楼内に学堂(学校)が設けられていました。
子どもの教育が、建物の機能のひとつとして組み込まれているのです。
これは単なる便利さではなく、「一族の知識と文化を次世代に伝える」という価値観が、建築の用途にまで反映されている証だと思います。
「誰が設計したか」より「なぜこうなったか」を問う建築
一般的に歴史的建築を語るとき、私たちは「誰が設計したか」をまず気にします。
著名な建築家の名前がついていれば、それだけで価値が上がるような雰囲気さえあります。
しかし土楼には、特定の設計者が存在しません。
集落の人々が共同で、世代をまたいで積み上げてきた建築知識の結晶です。
これは私にとって、かなり重要な問いかけを含んでいます。
「建築の価値は、誰が作ったかではなく、なぜそのかたちになったかにある」という考え方です。
土楼の円形という形は、防御・採光・通風・平等な部屋割り、すべての要求に応える最適解として辿り着いたものです。
洗練された「理由」があるから、この形になっているのです。
2008年にユネスコ世界文化遺産に登録された際の評価も、「生活と防衛を集団で行う組織の特徴的な建築の例であり、その環境との調和において優れている」というものでした。
建物のデザインよりも、「建築と生き方の一致」が認められたわけです。これは建築を考える上で、かなり本質的な視点だと思っています。
土楼が「よくできた建物」以上のものとして感じられるのは、おそらくそういう理由からだと思います。
建物の中に、一族の哲学と、生活の知恵と、何百年分かの試行錯誤が全部詰まっている。
そういう建物に出会うと、いつも背筋が伸びる気がするのは、私だけではないはずです。